DCコミック原作のバットマンに出てくるヴィランの誕生について描いた「ジョーカー」を見てきました。
いやー面白かったけど、言いたいことはいっぱいあるから色々かいてきますね。
脳内垂れ流し系なので構成は気にせずにどうぞ。
人は社会から完全に孤立した時にどうなるか
メインというほどではないが、「完全に社会的に孤立した場合に人間はどうなるか」というテーマが見え隠れする今作。
「誰でもジョーカーになる可能性はある」と声が聞こえるのもうなずけます。
人間関係、社会福祉、自分の家族、これらすべてから切り離されジョーカーへと変化していく様子が淡々と描かれているのです。
自分も世の中の1人であるとアピールするように笑い続ける様子はただのコミュ力皆無の中年オヤジ。
しかし、それが過大な表現ではなくリアルなところが観客に刺さる。
日常的におこる痛々しいシーンの数々もオーバーな描写ではなく、ただのワンシーンですよー的な感じで流してく作風に感情移入せずにはいられないでしょう。
歪んだジョークの定義
アーサーは電車内で起きた喧嘩の際に思わず拳銃で3人も殺してしまいます。
驚いてその場を逃走してしまいますが、事件がニュースに取り上げられ世間が良い方向に評価されてしまいます。
アーサーの行為に世間が賛同し、各地で暴動やデモが起こってしまいます。
世の中の動きをみたアーサーは、ムカつく人間が苦しむ様子はどんなネタより受けると定義してしまいます。
自分をコケ落としたコメディ番組の司会を撃ち殺し、自分の中の怒りや憎しみを開放したとき、アーサーはジョーカーというヴィランに変化します。
ジョーカーとして変化するシーンはかなり鮮やかでまさに【アンチヒーロー】として誕生する美しいシーンでした。
序盤中盤とフラットな演出だっただけに最後にこんだけやっちゃうと引き込まれちゃいますね。
ざっくり感想
ホアキン・フェニックスのどん底からもっと下に堕ちていく演技はやっぱり見て損はないと思いました。
やはりDCコミックは根暗が多い
アクション要素ゼロのサイコスリラー映画がまったく単調に感じなかったのは彼の演技力のおかげだと思います。
ちょっとアレ系の演技がね。
今作の「ジョーカー」はダークナイトのジョーカーのようなアクティブな狂人っぽさみたいなのは欠ける印象がありました。
でも、原作では割とジョーカーってライターさんによってキャラがかなり違うのでそこについてはそんなもんかなと。
むしろ「ニワカかよ」と言われるレベルだったことを反省していいます。
勝手に笑いがこみ上げるトゥレット障害である(作中での明確な説明はないがコレに該当する)という設定はなんか無理があるように感じた。
持病で苦しんでいるのにカウンセリングを打ち切られるというシーンで誰にも頼れなくなり社会から拒絶される様子を描きたかっただけ、に感じました。
しかしカウンセリングのシーンは僕にも心当たりがあって、治らない病気や障害の場合は、いくら面談をしてもやっぱり薬を貰うためだけのものって思ってしまうんですよね。
勝手に笑ってしまうってのは周りから見ると不気味ですけどね。
狂ったシーンでつい笑みがこぼれるとかの方がよかったんじゃないかなと。
とは言えそれはそれで、普通の狂人なのか。
最後に:世の中は【ジョーカー】を求めている
僕が思ったのは結局これです。
人はみな毎日解決しきれない悩みをもって生活しています。
金があれば、病気じゃなければ、違う家に生まれていたら、顔がもうちょっと良ければ
そんな悩みに世の中は「自己責任だ」「もっと下のやつもいる」「努力した?」「わがままだ」とただの正論で跳ね返します。
そりゃ正論ですわね。ぐうの音も出ません。
でもそこで「うるせえわ!」とドデカいハンマーで正論の壁をブチ壊すジョーカー的な【アンチヒーロー】的存在を世の中は密かに欲している。
おおっぴらに「名作だ」つってヨイショする映画ではないのかも知れませんね。
面白いけど。